みらい観光文化リサーチベース
   代表 佐滝 剛弘

さすらい旅日記

仁徳天皇陵を見下ろすバルーンに搭乗!!

2026年3月某日、乗りたい乗りたいと願っていた「おおさか堺バルーン」にようやく乗って、仁徳天皇陵をはじめとする世界遺産の「百舌鳥・古市古墳群」の一部を上空から見下ろすことができました。
実は、このバルーンは乗るのに大きなハードルがあります。
ひとつは、予約が取りにくいこと。そしてもう一つはバルーンは雨風に弱く、予約が取れても天候に恵まれないと上空まで上がれないことです。
予約は搭乗予定の10日前の夜中の0時から受付が始まります。しかし、私は普段は11時前には寝てしまいます。最初は翌朝でいいだろうと、朝6時過ぎに予約画面を開いたら、まだ予約開始後6時間しか経っていないのに、すでに全日満員。翌日はしっかり0時まで起きて、日付が変わると同時に予約を入れることができました。
12月の日曜日と月曜日、関西に所用があり、それに合わせてキャンセル待ちも入れながら、何とか2日連続で予約を入れたのですが、初日は雨で終日運行中止。翌日は薄曇りでしたが、風が強くやはり運行中止でした。天気予報では堺市の風速は4~5mだったので「8m以上で運行休止」という条件をクリアしていると思ったのですが、これはバルーンが上がる上空100mでの風速とのこと。地上では穏やかでも上空では結構風が強いため、安全を考慮してそこは厳密に運用されていました。
3月にふたたび予約をして再チャレンジ。しかし、やはり初日は強風でNG。翌日はバルーンのホームページでは多分大丈夫と書かれていたので、安心して現地へ向かったのですが、その途中、運行状況を開いて見ると、まだ運行決定にはなっていません。運行が始まる10時直前に仁徳陵に隣接した大仙公園のバルーン乗り場まで行ってみたのですが、「上空の風が強くしばらく様子を見ます。しばらくは厳しいかも」と告げられ、やむなく公園内で待つことに。しかし、30分経っても1時間経っても状況は変わりません。あきらめかけたころ、バルーンを上げる準備が始まりました。テストフライトをしてみるとのこと。そもそもテストフライト自体、風が収まらないとできないので、乗れる可能性が高まります。フライトとほぼ同時に、乗り場付近で待っていた人たちに対し、予約済の人と予約なしで飛び込みの人とに分かれて列に並ぶよう促すアナウンスがあり、11時の予約を入れていた私は、先頭に近い位置で行列に並ぶことができました。
そして、10時から待つことおよそ2時間、私も含めた先頭から8人がバルーンに乗り込み、いよいよ上昇です。このバルーンは内部を加熱して上がる熱気球ではなく、地面と結ばれたワイヤで上下します。スムーズに少しずつ上昇し、下の景色がぐんぐん遠ざかります。上昇し終わると、自由に360度動いて周囲を見て写真を撮ることも許されます。真下には、わが国最大の前方後円墳、仁徳天皇陵(大仙古墳)が存在感たっぷりに鎮座しています。反対側に目をやると、それより少し小さな履中天皇陵、東側には御廟山古墳にニサンザイ古墳と、巨大古墳がいくつも見られます。これまでは、古墳の周囲を巡っても、形は全然つかめなかったので、やはり上空からの景観は4000円(堺市民以外で事前予約の場合)の価値があることを実感しました。天気も良く、近くの生駒山地はもちろんのこと、大阪湾から淡路島まで見られたのも気持ちが良かったです。
上昇開始から戻ってくるまでほぼ15分。風はまだ多少ありましたが、怖さもなく、空中散歩を楽しめました。
仁徳陵に隣接する大仙公園
上昇するおおさか堺バルーン
上空から見た仁徳天皇陵
手前が御廟山古墳、奥がニサンザイ古墳

東京・成城に建つG-SHOCKにもゆかりの文化財の邸宅を見学

今年2月、東京・世田谷区のとある個人の邸宅が国の登録有形文化財に登録されました。邸宅といっても、文化財の正式な名称は、「樫尾俊雄発明記念館」。名前でピンと来た方は少ないかもしれませんが、「樫尾」は「CASIO」。電卓や電子楽器、腕時計のG-SHOCKなどのメーカーとして知られる会社を永らく牽引したのが樫尾俊雄氏であり、この記念館は彼の旧居を博物館として一般公開しているところです。

この記念館があるのは、東京の高級住宅街の一つ、成城。武蔵野台地から多摩川へと落ち込む崖(国分寺崖線)を利用して、斜面に建てられたかなり大きな邸宅です。成城には、この近くにもかつてのお屋敷を一般に公開しているところがいくつもあり、関東大震災後急速に山の手に広がった郊外の高級住宅地の様子を直接感じることができます。最近、これらを見学する機会を得たので、「安・近・短」時代に注目されそうな「身近にある知られざる観光スポット」を紹介します。

 

国の「登録有形文化財」は、個人の住宅や病院、駅といった公共施設、寺院や教会等の宗教施設など、主に近代になって日本各地に建てられた建築や土木構造物(橋やトンネルなど)を後世に伝えていくためにつくられた制度で、一年に3回、新たな文化財が登録されます。樫尾記念館は昨年11月に文化財となることが発表されており、東京では樫尾俊雄発明記念館のほか、同じく世田谷区にある駒澤大学旧図書館なども同じ時期に登録有形文化財となりました。

さて、今回の主役の樫尾俊雄発明記念館の見学は、「完全予約制」となっていて、施設のホームページから予約を入れます。原則として午前午後各1回でしかも原則1回一組という制約があるので、訪問希望者は早めに予約を入れた方が良いでしょう。

アクセスは、小田急成城学園前駅から15分ほど歩くか、近くにあるバス停まで路線バスを利用し、そこから5分ほど歩くという手段もあります。

この記念館の見どころは大きく3つあります。一つ目は有形文化財になった邸宅の建築としての面白さ、これには崖を有効に利用し、ベランダからはるか富士山を望む眺望もセットとしてい考えてよいでしょう。二つ目は記念館の名称もなっている樫尾俊雄氏(カシオ計算機の創業者の一人)の発明家としての伝記的な魅力、そして三つ目は戦後日本の産業史、技術史の発展が概観できる「学び」の楽しみです。

さて、午前10時に記念館に到着し、チャイムを押すとスタッフが出迎えてくれました。私は一人で見学に赴いたので、マンツーマンで案内をしてもらうことになります通常の案内時間はおよそ2時間。しかも記念館の入場もガイドも無料であり、現地までの交通費さえ出せば充実した時間を過ごすことができます。
 記念館は大きく2つの棟から成り立っており、エントランスがあるほうが1961年に建てられた旧棟で、こちらが登録有形文化財の対象となっています。それにつながる形で斜面の低い方に新棟があり、記念館は両方にまたがっています。エントランスはコンサートホールのようなイメージで天井が高く、落ち着いた造りです。エントランスには建物の模型があって、これを見ると、全体が「鳥」をモチーフにしていること、また真上から見ると六角形になっており、これは時計などに使われる水晶(クォーツ)の六角形の結晶をイメージしているとの説明を受けて納得しました。

その後、展示スペースとなっている邸宅の居間や書斎などに案内されます。小型計算機など数々の発明を重ねて生涯で300を超す特許を取得した俊雄氏の功績を展示品や動画などで知ることができます。また、今思えば小型でも何でもないかなり大きな計算機の仕組みを、今もその機器を実際に動かしながら計算の過程を見せてもらえたり、その計算機が次第に本当の意味で小型化し、一世を風靡したカシオミニなどへと進化していく過程がすべて実機で展示されているため、あたかも昭和の歴史を産業の面からなぞっていくような楽しみがあります。また、建物のあちこちには鳥をデザインしたステンドグラスや巨大な大理石の壁面、また大きな窓から望む庭園など、あたかも小さな美術館を散策しているような気分になる点も優れています。ちなみに「鳥」は俊雄氏が鳥好きだったことから、デザインされたのだという説明でした。また、庭園の脇の小径は崖線の上と下を結ぶ公道のような役割をしており、一般の人が行き来しているのも新鮮です。

日本には企業が設立したいわゆる企業博物館的な施設が無数にあり、有名なもので言えば、名古屋市にある「トヨタ産業技術記念館」などがありますが、樫尾記念館は、個人の手触りが感じられる分、とても身近で、圧倒されるというよりは穏やかな時間を故樫尾氏と共有できた、そんな感じがする滞在でした。

室内の見学を終え館外に出て、不思議な形をした記念館の外観と庭園を少し散策した後、近くにある二つの「成城のお屋敷」を見学しました。一つは、「世田谷区指定有形文化財」である旧山田家住宅。1937年(昭和12年)ごろに建てられた洋館で、のちに画家の山田盛隆が購入して住まいとしたものを公開しています。2階建てで10を超す部屋が並ぶ豪邸でありますが、周囲も緑地として整備されており、落ち着いた印象です。樫尾記念館から歩いて5分程度で、同じく国分寺崖線に面しており、当時成城学園が開発した学園町の様子を色濃く残しています。

この両宅から56分、成城学園前駅方面に歩いたところに、「旧猪股家住宅(猪股庭園)」があります。こちらは実業家の猪股猛氏が1967年に、著名な建築家の吉田五十八による設計で建てた和風住宅で、屋敷の広がる広大な庭園と茶室もみどころです。この二つの邸宅は、見学に際して予約の必要はなく、またどちらも無料なのも昨今の物価高を考えるとうれしい配慮です。

現在、東京では周辺の3県(神奈川、千葉、埼玉)も含め、いわゆるタワマンが林立し、街が垂直に広がるエリアが拡大しています。タワマンの高層階の眺望は素晴らしいし、街を見下ろす優越感はステータスでもあるでしょうが、一方で昭和の時代に東京で憧れとともに広がった庭付きの一戸建ての邸宅と比べると、どちらが豊かといえるのかをふと考えさせられます。成城は、100年ほど前に現在の新宿区から当時の北多摩郡砧(きぬた)村に移転した成城学園が、キャンパスの整備だけでなく、街づくりを主導した珍しい起源を持つ住宅街であり、今も全体に文化的な香りが色濃く残っています。「成城」の地名も学園に由来しています。この一帯を歩いていて落ち着けるのはそんな歴史も関係しているのかもしれません。

国登録有形文化財には、ほかにも公開されている邸宅が全国各地にあります。今年になって訪れた、埼玉県熊谷市の「長島記念館」も、旧埼玉銀行の頭取などを務めた長島恭助の生家を公開しているところで、母屋やいくつもある蔵などの農家のたたずまいが素晴らしいと感じました。

文化庁が作成している「国指定文化財等データベース」を開けば、どこにどんな登録有形文化財があるかがリスト化されていて、訪問の参考になります。どこかへ行きたいけれど、遠くへはちょっと…という方は、こうした身近な文化財を見つけて足を運んでみるのも、新たな発見につながるように思われます。

 

 

 

 

樫尾俊雄発明記念館の入口
記念館に展示されている電卓
庭から見た記念館(のちの増築部分)
旧山田家住宅の外観

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代表 佐滝 剛弘

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