今年2月、東京・世田谷区のとある個人の邸宅が国の登録有形文化財に登録されました。邸宅といっても、文化財の正式な名称は、「樫尾俊雄発明記念館」。名前でピンと来た方は少ないかもしれませんが、「樫尾」は「CASIO」。電卓や電子楽器、腕時計のG-SHOCKなどのメーカーとして知られる会社を永らく牽引したのが樫尾俊雄氏であり、この記念館は彼の旧居を博物館として一般公開しているところです。
この記念館があるのは、東京の高級住宅街の一つ、成城。武蔵野台地から多摩川へと落ち込む崖(国分寺崖線)を利用して、斜面に建てられたかなり大きな邸宅です。成城には、この近くにもかつてのお屋敷を一般に公開しているところがいくつもあり、関東大震災後急速に山の手に広がった郊外の高級住宅地の様子を直接感じることができます。最近、これらを見学する機会を得たので、「安・近・短」時代に注目されそうな「身近にある知られざる観光スポット」を紹介します。
国の「登録有形文化財」は、個人の住宅や病院、駅といった公共施設、寺院や教会等の宗教施設など、主に近代になって日本各地に建てられた建築や土木構造物(橋やトンネルなど)を後世に伝えていくためにつくられた制度で、一年に3回、新たな文化財が登録されます。樫尾記念館は昨年11月に文化財となることが発表されており、東京では樫尾俊雄発明記念館のほか、同じく世田谷区にある駒澤大学旧図書館なども同じ時期に登録有形文化財となりました。
さて、今回の主役の樫尾俊雄発明記念館の見学は、「完全予約制」となっていて、施設のホームページから予約を入れます。原則として午前午後各1回でしかも原則1回一組という制約があるので、訪問希望者は早めに予約を入れた方が良いでしょう。
アクセスは、小田急成城学園前駅から15分ほど歩くか、近くにあるバス停まで路線バスを利用し、そこから5分ほど歩くという手段もあります。
この記念館の見どころは大きく3つあります。一つ目は有形文化財になった邸宅の建築としての面白さ、これには崖を有効に利用し、ベランダからはるか富士山を望む眺望もセットとしてい考えてよいでしょう。二つ目は記念館の名称もなっている樫尾俊雄氏(カシオ計算機の創業者の一人)の発明家としての伝記的な魅力、そして三つ目は戦後日本の産業史、技術史の発展が概観できる「学び」の楽しみです。
さて、午前10時に記念館に到着し、チャイムを押すとスタッフが出迎えてくれました。私は一人で見学に赴いたので、マンツーマンで案内をしてもらうことになります通常の案内時間はおよそ2時間。しかも記念館の入場もガイドも無料であり、現地までの交通費さえ出せば充実した時間を過ごすことができます。
記念館は大きく2つの棟から成り立っており、エントランスがあるほうが1961年に建てられた旧棟で、こちらが登録有形文化財の対象となっています。それにつながる形で斜面の低い方に新棟があり、記念館は両方にまたがっています。エントランスはコンサートホールのようなイメージで天井が高く、落ち着いた造りです。エントランスには建物の模型があって、これを見ると、全体が「鳥」をモチーフにしていること、また真上から見ると六角形になっており、これは時計などに使われる水晶(クォーツ)の六角形の結晶をイメージしているとの説明を受けて納得しました。
その後、展示スペースとなっている邸宅の居間や書斎などに案内されます。小型計算機など数々の発明を重ねて生涯で300を超す特許を取得した俊雄氏の功績を展示品や動画などで知ることができます。また、今思えば小型でも何でもないかなり大きな計算機の仕組みを、今もその機器を実際に動かしながら計算の過程を見せてもらえたり、その計算機が次第に本当の意味で小型化し、一世を風靡したカシオミニなどへと進化していく過程がすべて実機で展示されているため、あたかも昭和の歴史を産業の面からなぞっていくような楽しみがあります。また、建物のあちこちには鳥をデザインしたステンドグラスや巨大な大理石の壁面、また大きな窓から望む庭園など、あたかも小さな美術館を散策しているような気分になる点も優れています。ちなみに「鳥」は俊雄氏が鳥好きだったことから、デザインされたのだという説明でした。また、庭園の脇の小径は崖線の上と下を結ぶ公道のような役割をしており、一般の人が行き来しているのも新鮮です。
日本には企業が設立したいわゆる企業博物館的な施設が無数にあり、有名なもので言えば、名古屋市にある「トヨタ産業技術記念館」などがありますが、樫尾記念館は、個人の手触りが感じられる分、とても身近で、圧倒されるというよりは穏やかな時間を故樫尾氏と共有できた、そんな感じがする滞在でした。
室内の見学を終え館外に出て、不思議な形をした記念館の外観と庭園を少し散策した後、近くにある二つの「成城のお屋敷」を見学しました。一つは、「世田谷区指定有形文化財」である旧山田家住宅。1937年(昭和12年)ごろに建てられた洋館で、のちに画家の山田盛隆が購入して住まいとしたものを公開しています。2階建てで10を超す部屋が並ぶ豪邸でありますが、周囲も緑地として整備されており、落ち着いた印象です。樫尾記念館から歩いて5分程度で、同じく国分寺崖線に面しており、当時成城学園が開発した学園町の様子を色濃く残しています。
この両宅から5~6分、成城学園前駅方面に歩いたところに、「旧猪股家住宅(猪股庭園)」があります。こちらは実業家の猪股猛氏が1967年に、著名な建築家の吉田五十八による設計で建てた和風住宅で、屋敷の広がる広大な庭園と茶室もみどころです。この二つの邸宅は、見学に際して予約の必要はなく、またどちらも無料なのも昨今の物価高を考えるとうれしい配慮です。
現在、東京では周辺の3県(神奈川、千葉、埼玉)も含め、いわゆるタワマンが林立し、街が垂直に広がるエリアが拡大しています。タワマンの高層階の眺望は素晴らしいし、街を見下ろす優越感はステータスでもあるでしょうが、一方で昭和の時代に東京で憧れとともに広がった庭付きの一戸建ての邸宅と比べると、どちらが豊かといえるのかをふと考えさせられます。成城は、100年ほど前に現在の新宿区から当時の北多摩郡砧(きぬた)村に移転した成城学園が、キャンパスの整備だけでなく、街づくりを主導した珍しい起源を持つ住宅街であり、今も全体に文化的な香りが色濃く残っています。「成城」の地名も学園に由来しています。この一帯を歩いていて落ち着けるのはそんな歴史も関係しているのかもしれません。
国登録有形文化財には、ほかにも公開されている邸宅が全国各地にあります。今年になって訪れた、埼玉県熊谷市の「長島記念館」も、旧埼玉銀行の頭取などを務めた長島恭助の生家を公開しているところで、母屋やいくつもある蔵などの農家のたたずまいが素晴らしいと感じました。
文化庁が作成している「国指定文化財等データベース」を開けば、どこにどんな登録有形文化財があるかがリスト化されていて、訪問の参考になります。どこかへ行きたいけれど、遠くへはちょっと…という方は、こうした身近な文化財を見つけて足を運んでみるのも、新たな発見につながるように思われます。